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福岡地方裁判所 昭和52年(行ウ)13号 判決 1979年2月15日

原告 長野政彦 ほか一名

被告 若松税務署長

代理人 中野昌治 中島享 ほか四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし4の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  次に、昭和四九年一二月二五日亡シゲから原告豊子に対し保証小切手で金九〇〇万円が支払われたことは当事者間に争いがないが、右支払について、原告らは、亡シゲが洋子に対しその結婚費用を贈与として負担する旨約し、これを原告豊子が立替え支出したものの返還として受領したものである旨主張するのに対し、被告は、これを亡シゲから原告豊子に贈与されたものである旨主張するのでこの点につき検討する。

<証拠略>を総合すれば以下の事実が認められる。

1  洋子は、原告らの長女で亡シゲの孫であるところ、その縁談が昭和四九年五、六月ころ(以下月日のみで示すのはいずれも昭和四九年である。)起こり、六月二九日いわゆるすみ酒を入れて正式に整い、一〇月一四日結納を済ませ、一一月一五日結婚式を挙げて結婚した。なお、原告豊子は亡シゲの実子であり、原告政彦は亡シゲの養子である。

2  亡シゲは、洋子が亡シゲにとつて初孫でもあり、また洋子の小学生の頃一時親代りとして育て二人で生活したこともあつて、洋子を特に可愛がり、洋子がまだ幼少であつたころから原告ら及び洋子に対し、洋子の結婚の話が出るたびにその費用は自分で負担する旨話していた。そして、洋子の縁談が整つた六月ころにも原告らに対しその旨話し、恥ずかしくない程度の調度をそろえるよう申し向けていた。

これに対し、洋子は、亡シゲから折あるごとに結婚費用は自分が負担する旨聞かされていたので、始終自分が結婚するについては亡シゲが費用を負担するとは思つていたものの、左程意識してその話を聞いていたわけではなく、現実に縁談が整つてから亡シゲから洋子に対しそのような申出があつたか否かについては記憶も定かではない。

3  亡シゲは、現実に洋子の結婚費用を負担するにしても、当面の手持ちの金員を有しなかつたので、その旨原告豊子に言つたところ、当時原告豊子においては、その所有する芦屋町所在の土地約一〇〇〇坪を約三六〇〇万円ないし三八〇〇万円で売却し、九月に現金収入の見込みがあつたので、さしあたり原告らの方で支払つておく旨述べた。

なお、亡シゲは、同人が社長をしていた政長興行センター株式会社所有の建物(ホテル富士)とともに同人所有のその敷地を売却するか、又は芦屋町所在の同人所有の山林を売却する予定であつたので、その売却代金をもつて原告豊子が負担する洋子の結婚費用を支払うつもりであつた。

4  洋子の結婚の仕度は、亡シゲにおいては、その家具の購入、着物の選択につき部分的に指示することもあつたが、原告豊子に任せ、また洋子においても、買物に原告豊子と出かけてはいたが、その選択等については殆んど原告豊子に任せきりにしていた。また結婚式の段取り等についても原告らがこれを取り計らつた。そしてそれらの費用は原告豊子において支払つた。

洋子の結婚に要した費用は、当初原告らが亡シゲに予定額として話していた六〇〇万円を超え、最終的には一一四二万三五〇〇円となつたが、原告らは一二月下旬の段階で明確となつた費用を集計したところ九四一万二〇〇〇円となつたので、その内九〇〇万円を亡シゲに負担してもらうこととし、一一月二四日と一二月一日に入院中の亡シゲの許に出向いてその了承を得た。他方、原告らは、洋子に対しその要した具体的な費用につき何ら報告することもなく、洋子は、当時原告豊子が亡シゲに代つて現実の支払をした事情も知らず、金額についても単に一〇〇〇万円以上を要したと聞いていただけであつた。

5  亡シゲ所有の福岡市所在の土地は、政長興行センター株式会社所有の同土地上の建物(ホテル富士)と一括して一億一〇〇〇万円で処分され、一一月二八日買主より手附金として二二〇〇万円、一二月四日に残金八八〇〇万円が同会社に支払われ、代金額のうち土地についての配分額二四五〇万円が一二月二一日、同月二三日の二回に分けて同会社から亡シゲに支払われた。そこで、亡シゲは原告豊子に対し一二月二五日額面合計九〇〇万円の遠賀信用金庫芦屋支店保証の小切手三通を交付した。原告豊子は右小切手三通の取立てを福岡銀行中央市場支店に依頼し、一二月三一日同支店の原告豊子名義の普通預金口座に九〇〇万円が入金された。(ただし、本項の事実については当事者間に争いがない。)

6  亡シゲは、以前から神経痛を患つていたが、腰痛がひどくなり、また洋子の結婚式への出席のためもあつて、九月二五日渡辺外科医院に入院した。入院時亡シゲが死亡するとの虞れは全くなく、その後の経過も良好であつたが、亡シゲは病状が悪化することをおそれて洋子の結婚式を欠席した。そして、一二月二八日容態が急変して急性肺炎を併発し、同月二九日突然意識が混濁し、翌三〇日に死亡した。(ただし、一二月三〇日に亡シゲが死亡したことは当事者間に争いがない。)以上の事実が認められこれを覆すに足る証拠はない。

よつて判断するに、原告が主張する亡シゲと洋子との贈与契約につき、六月はじめころ亡シゲから洋子に対しその結婚費用を負担する旨の申出があつたとの事実は、前掲各証拠その他の本件全証拠によるもこれを認めることはできない。たしかに、亡シゲはかねてから洋子の結婚費用を負担するつもりであり、その意向を表明していたことは右認定のとおりであるけれども、その負担の方法として、直接洋子に対し、結婚費用のための金員を贈与する旨の合意がなされたものとはにわかに認めがたい。

そして右認定によれば、亡シゲは洋子の縁談が整つた六月ころ原告らに対しては右の申出をしているのであり、更に洋子の結婚準備に対する原告豊子の関与の程度、その費用の現実の支払状況、亡シゲの負担額決定の経緯等の諸事情をも総合して考えると、むしろ本件における九〇〇万円は、亡シゲから原告豊子に対する贈与と認めるを相当とする。(すなわち、同原告に対し、出捐額の大部分にあたる金員を贈与するというかたちで、洋子の結婚費用の負担がなされたとみるのが相当である。)その贈与の時期については、被告は亡シゲの負担額が決定された一二月一日と主張するところ、贈与契約自体は六月ころにその成立を認めえないでもないが、いずれにしろその履行がなされたのは一二月二五日であることは明らかであつて、相続税法一九条の贈与により財産を取得したこととは、本件のような書面によらない贈与にあつてはその履行の終了を意味すると解すべきであるから、原告豊子が相続開始前三年以内に贈与により財産を取得したとしてなした被告の本件処分は適法であるといわざるをえない。

三  よつて、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田和夫 綱脇和久 林田宗一)

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